紙をつくった男の話 3
ヒューザトニック川近くに一世紀前にできたバークレー製紙業の中心地にある小さな町です。
〈フローテーター〉の最初の客はマサチューセッツ州ダルトンのバイロン&ウェストン、現在のクレーン&カンパニーでした。
アメリカ連邦準備銀行券(つまり紙幣)用紙の製造でよく知られた会社です。
クロフタはもしこの装置がうまく稼働しなかったら前渡金は返却し、撤去も無料で行うという条件で契約しました。
その後の25年間、彼は4年ごとに新しい改造品を出し、約20件の特許を取得し、11か国とアメリカの3つの州に事務所を開きました。
1960年代半ばには、ユーゴスラヴィアのコミュニストたちもリュブリヤナの工場用に浮遊式装置を3機ひそかに購入しました。
1970年には、同業のアドカ社を抜いて溶解式空気浮遊型浄水機の最大手メーカーとなりました。
新しい製紙工場を作る場合、以前は工場外に単に大きな山のように据付けられていた沈殿用タンクに代って、彼の考案による30倍の速さで循環し、しかも効率よく繊維を再利用できる工場内のフローテーターが使われることが多くなりました。
企業家というのはさまざまな可能性についてビジョンを抱くと同時に、それを限定しなければならないこともよく心得ているものです。
クロフタは世界中の製紙工場に資本財を供給することで彼自身の行き詰りを打開し、その後20年間ひたすら伸展をつづけました。
・・・というのも何よりも自分のよく知っていることに的をしぼらなければならないということを彼は充分に心得ていたからです。
彼は事業を多角化しなかったのです。
技術面でも販売面でも彼はすでに実証ずみの自分の強みを活用しました。
それによってより低コストでより性能のよい製紙工場用廃水処理機械を生産するという学習曲線どおりの実績をあげた彼は、業界では常に動く標的でした。