紙をつくった男の話 2
クロフタの製紙業の経験とこのアメリカ人の金融および経営の手腕を活かして、有力な新しい製紙会社を作ろうという計画でした。
しかしそれは思うようには運ばなかったのです。
買取った会社はそれまで、法律書式用紙と思われる50パーセントのぼろを使ったぜいたくなボンド紙を製造していました。
1ポンドあたり22セントというクロフタの目から見ると法外な値段で軍と契約しているものでした。
しかし、この工場の機械は時代遅れで性能が悪く、低いコストでこれ以上この製品を生産するのはもはやむりでした。
クロフタはそれでもどうにか工場を運営しながら、彼にとってはより深い関心事である、水処理の問題に再び取組むことにしました。
彼は新しいシステムの試作品を作りました。
イタリアで作ったウニフロートよりも単純でしかも効率のよいものです。
新しい装置は〈フローテーター〉と名づけ、アンクラムで売出すことにしました。
この決定は結果的に時宜を得たものとなりました。
朝鮮戦争の終結とともに、アメリカ政府が8セントの紙に22セントを支払う契約を破棄したため、彼は工場を売却しなくてはならなかったからです。
・・・クロフタ一家はマサチューセッツ州レノックスに移りました。