日本のパチンコの歴史・・・今太閣の正村竹一氏2
昭和24年に「正村式ゲージ」と呼ばれるパチンコ台を考案、広く大衆に楽しんでもらおう、と特許をとらないで普及に努め、名古屋市内大小300のメーカーの頂点に君臨する地位にまでノシ上ったのです。
儲けは儲けを生み、「パチンコ億万長者」とか、「今太閣」といわれ、面会人は一日に300人から500人---、まったく、パチンコ王者の名にそむかぬ存在となったのです。
まさに、パチンコの生みの親、といっていいでしょう。
こうして、パチンコ一筋だった正村竹一氏も病いには勝てず、昭和50年10月18日、入院先の名古屋大学付属病院で、肺ガンのため死去しました。69歳でした。