日本のパチンコの歴史・・・ドラム缶3本に現金
名古屋で再生産を始めたパチンコは、戦後の暗い世相の中で、唯一の娯楽として、またたく間に全国に広がり、昭和29年にはレジャーの王者となったのです。
今から30年以上も昔のこと。
そのレジャーの王者となる前年の昭和28年---、本場名古屋のメーカー数は約400軒(組合員300名)で、大メーカーは日産300台、全体で月産15万台は下らないという勢いでした。
1台の価格は7、500円、最低3、500円。
最高7、500円のパチンコ台だと、略材料費、人件費、宣伝費等を差しひいても、2、500円は確かに儲かるといわれていました。
2、500円の儲け、とはどのくらいのものだったでしょうか。
この昭和28年、米価(小売)1キロ68円ですから、これと比べたら高い儲けが分かるでしょう。
ある大メーカーなど純益月に8、000万円。
ドラム缶3本に、現金をつめて床下に埋めてある、という噂もあったくらいです。
ちなみに、当時1万円札はなく、1万円札が登場したのは昭和33年だったので、隠し金をしようとすれば、かさばるので、ドラム缶の必要量も増えたことでしょう。