日本の歴史・・・玉式パチンコ台第1号 2
その頃、名古屋には、この「京極製作」のほかに、「大野」「長崎」「大山」「久野」「竹内」等といった専門メーカーが、生産を競い合っていましたが、いずれも、メタル式を超す新しいキカイの出現を待望していたのです。
そこへ、この玉式が出現したのですから、どのメーカーもこれに飛びつき、たちまちのうちに、玉式パチンコ全盛となったのです。
ところが、この形式のままで進んでいたならば、戦後のひどいインフレ状態のもとではパチンコは、大衆から見放される結果を招き、今日のような興隆はみられなかったかもしれません。
それを打破したのは、目先のさとい業者によって考案された「オール物」で、まだ終戦の年の昭和20年のことでした。
メタル式→玉式→オール物と、パチンコに対する考案は、目覚ましいスピードで展開していったのでした。